朱雀野にて

一次創作を書き散らしたりお知らせしたり

師走、蔵前にて

 遺書を書こうと思った。

 

 元より不出来な人間であることは重々承知だったけれど、それでもわたしにとってここ数ヵ月は、まるで小さな地獄のようだった。毎日どうすればいいのか不安だった。何をやっても、靄を掴むような感覚だけがあったことを覚えている。

 それでも、わたしひとりに任されたことなのだからと、周りの人間に迷惑はかけまいと懸命にこなそうとした。寄せられた期待には応えたかったのだ。他者が認めるわたし像を守りたい、という矜持もあったし、それができないのは他ならぬわたし自身が許せなかった。……にもかかわらず、わたしは成果を出すことができなかった。自分が悪いとしか言いようのないミスの連続で結局他者の手を煩わせ、挙句の果てには仕事をひとつ駄目にした。あの徒労、どうすれば良かったのか分からない霧隠れ。思い出すだけで吐き気がする。

 立て続けにそんなことが起きたおかげで、わたしの惰弱な精神はすっかり参ってしまい、夜中の自室であろうと出勤途中のバスであろうと退勤中の道すがらであろうと、所かまわず涙が出るようになった。仕事に行きたくないと思った。何もしたくないと思った。身体を動かすのが億劫だった。そこまできてようやく、元より塞ぎやすい性分であるというだけでは説明のつかない希死念慮が沸き上がっていることを自覚し、わたしはしばしの暇をもらったのだ。

 かくしてわたしは、実に堕落したしばしの安息を手に入れた。そして何もできずに布団の中で一日を消費していく現状を憂い、いよいよ、死んだほうがましなのではないかと思った。

 ひとりになると、途端に無気力が襲ってくるのだ。いつまでも風呂に入る気が起きず、携帯電話の液晶画面を無作為につつくばかりで、頭をまともに使わないソーシャルゲームのリザルトだけが積み上がる。何も考えたくなかったし、考えられなかったから、豪勢な旅行ができる程度の金額をいたずらに課金したりもした。そんなことにやっと飽きて入浴して、牛乳を飲んで、そして眠るのが明け方だった。

 自堕落を繰り返していれば、弱った精神が己を恥じるのも当然だ。どうして早くお風呂に入って眠る、それだけのことができないんだろう。思い悩んで、このまま休みが終わってもわたしは悩み続けるのではないか、そう思うともう死んでしまいたかった。早く楽になりたかった。死ぬ方法など思いつきもしないのに、少なくとも両親が生きているうちの自殺はやめようと思ったのに、不意に線路へ飛び込んだりしてみたくなった。

 だから、遺書を書こうと思った。

 もしわたしが本当に死んでしまったとしても、そのことについて気に病む者が現れないように、である。わたしは沢山の人に愛してもらえて幸せだったと、それでも戻ってこられずに申し訳ないと、ひとえにこの死はわたしがただ欠陥品であったがためのものだと、弁明しておきたかったからだ。

 

 どうせ書くなら、とびきりのものがいい。

 そう思って、わたしはいつしか噂で聞き及んだ、あるいは麗しき先輩が持っていたのだったか、「自分でインクの色の配合ができる万年筆」を買いに行った。好きな色を選んで混ぜ合わせて、自分の好みの色の万年筆のインクを作れる、という予約制の店である。ゲルボールペンに入れて使うこともできるとのことだったけれど、せっかくであるなら持っていない万年筆で揃えたい。わたしはその店のホームページをじろじろ眺め、アクセスも住所も見づらいつくりに辟易しながらそこへ向かった。

 都営大江戸線に揺られて二十分、蔵前。見慣れない小売店のようなものが立ち並ぶほかには別段栄えた調子のない街(駅前はいくらか賑わっているが、物理的に傾いている古書店などがやたらに目を惹く)で、わたしは数回道に迷いながら、ようやくその店に辿り着いた。

 書森、と言う名前を持つ文具屋の、インク配合専門店舗。文具を扱う方の店舗は、このところ移転して少し遠くなったらしい。そこでわたしは、店員の指示を受けるまま、ビーカーに三色のインクを垂らしては混ぜ、試し書き、配合を変え、それらを繰り返した。わたしのほかにはカップルが一組と、ひとりで来ている女性。四人が並んで、各々理科の実験のように、十四色用意された基本色からみっつ選んで己の理想を探していた。

 

 血の色に似たショッキングピンク。

 濃紺のような深い紫。

 鈍った隕石の灰色。

 

 わたしが基本色としてそのみっつを選んだのは、わたしの綴った物語を「群青、あるいはワインレッド」と称した学友がいたからだ。小説を読んだ際に色を思い浮かべるという共感覚の持ち主であった彼女は、わたしの作品にその色を授けてくれた。初めて作品集を出した際にその名を『群青』としたのも、それがきっかけとなっている。

 群青とワインレッド、あわせれば要は紫である。そう思って、わたしは色を選んだのだった。灰色を加えたのは、きつい色を見るに能わないわたしの今の脆さを考えてのことだ。それに、先の共感覚の学友が送ってきたカラーサンプルも、さほど彩度の高くないものだった。

 七回にわたる試行錯誤の結果、わたしは配合にやっと満足し、その配分表を店員に渡した。額の広い穏やかそうな女性店員は、それを元にインクを作り始めた。出来上がりは四十分後。わたしはその間に店を出て、革製品のハンドメイドとカフェが同居した小さな工房で、クリームチーズの乗っかったにんじんケーキとホットチョコレートを朝食代わりに食べた。時刻は十二時五十分だった。不味くはないが、二度食べたいと思うにはいささか足りない味。

 無聊の慰めに咀嚼しながら室生犀星ウィキペディアを読んでいたら、最終的に萩原朔太郎の娘が、自身の叔母(朔太郎の妹)と三好達治の夫婦関係に関する小説を書いていたことに辿り着いた。

 食事後インク店に戻ると、店員が品物を揃えて、丁寧に会計をしてくれた。

 

 そうやって出来上がったものを、自宅に帰って、インクとともに誂えて買った万年筆に注いでみた。コピー用紙に思いつくフレーズをずらずら書いて、滲みや強弱、それで変わる色を見た。

 鬱屈した一文を書いた。

 鳴き声が響いている/僕が何も得られんと泣く/その獣の声が響いている。さあ我が名を呼んでくれ/愚かに憂いて。ああ私はただ一つ何かに秀でていればよかったのだ/赦してくれ赦してくれ/墓参りに行きたい。愚かな私の名を/あなたに泣き叫んでほしい……。

 いくらでも書いていたい気持ちになった。

 いつぞやの一人旅で伊香保に行った際立ち寄った、竹久夢二記念館で買った一筆箋に、歌を詠んで書き連ねてみたい気持ちになった。なんでもいいから、このわたしの具現化たる色のインクで、言葉を紡いでいたかった。

 

 手のひらの大きさの瓶には、群青とワインレッドの混血児がなみなみと注がれていて、どこまでも深い夜のような色を見せている。これだけの量のインクは、遺書を書くだけではとても使いきれなさそうだった。

 わたしは、遺書を書くのをやめた。